涙の数だけ強くなる~キラキラ系スピからの目覚め~

スピ依存だった私・・目覚めた後は少し生きやすくなりました。

初めて勇気を出して会社に訴えてみました。② パワハラを訴えたその後・・

 

先月、私は人生初のパワハラを経験して入社半年も満たずに会社(といってもパート)を退職しました。

 

 

clearheart212.hatenablog.com

 

⇧⇧こちらの記事にて、会社にパワハラを訴えたところまで書きましたが

今回は続編になります。

 

会社との話し合い

会社とは電話・直接の呼び出し共に事情聴取と私の今後について3回話し合いました。

最初こそは電話での徴収でしたが・・

二回目からは会社の外で話し合いが行われました。

 

外での話し合いでは、人事部長と私の直属の課長が来ました。

ちなみに問題の教育係は平社員です。

私はパワハラの証拠品と内容をまとめたメモを提示しました。

 

その時まで私は

【どうせ、会社は私の言うことを大袈裟だ!ぐらいにしか捉えないだろうな・・】と思い込んでいました。

 

すると直属の課長が重い口を開きました。

 

「かこさんのメモに書いてある内容、実は僕は見たり・聞こえたりして知っていました。

〇日と〇日の分は自分が休みだったので知りませんが・・

Aさん(教育係)の性格からしたら、本当にやりそうなことで想定内です。

 

だから、かこさんが嘘をついてるとか、大袈裟で書いてるとは思えません。

 

実を言いますと、以前からAさんの

かこさんに対する口調・態度が目に余り、気になっていたので1カ月くらい前に本人に注意をしました。

 

Aさんは強気な方だから、簡単には聞き入れないだろうし直すことは難しいだろうと予想していましたが

自分の注意した本気さがAさんに全く届いていなくて、かこさんには嫌な思いをさせてしまいチカラ不足で、ごめんなさい」

 

と、言われました。

 

そこで、人事部長からも

「入社当初から何カ月も嫌な思いをさせてしまって、知らなかったとはいえ

管理不行届きで大変申し訳なかったです。

もし、どうしても退社するという意向ならば

会社に来れなくなった日からの休んだ分+1か月分の給料に見合う慰謝料支払い+会社都合での退職理由で、かこさんの気持ちを収めてもらえないか?」

と言われました。

 

(失業保険を申請するにあたり、会社都合だと手当申請後に直ぐお金がもらえるし・もらえる日数も多くなるのです)

 

 

私は、教育係に腹は立っていたものの、その言葉で会社に対する怒りは消えていました。

 

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パートありきで我が家の生活は成り立っているので、正直言ってお金は欲しい・・

さすがに何も仕事に行ってないのに、お金を1カ月全額いただくのも気が引ける・・

私はパワハラの事実を伝えたかっただけであり、お金目当てだったと後から思われたりするのも嫌だな・・

 

と、一瞬ごちゃごちゃ考えて

 

最終的には、決定的なパワハラを受けてショックで会社に行けなくなった日から

退職まで数日分の給料+会社都合での離職票 で合意しました。

 

 

夫・友人たちから言われたこと

「どうせなら、慰謝料として1か月分もらえば良かったのに!!」

と、言われてしまいましたが・・

 

 

自分の切ない気持ちが伝わったこと・真実だと理解されたことが素直に嬉しかったし

勇気を出して本当に良かったと思う反面・・

 

ぶっちゃけ、本音は・・

慰謝料もらえば良かったかな?

変なプライドが邪魔してしまった?

 

と、色々な思いもありますが

これを【負の先払い】として、今回嫌な思いをした分

次の職場は更に良い場所に巡りあえるはず!!と、信じて就活していきたいです^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会人になって数十年・初めて勇気を出して会社に訴えてみました。

令和になってからはじめての投稿になります。

みなさん、お久しぶりです。

令和が始まって1か月・・

私は昭和・平成時代から背負ってきた自分の弱点とサヨナラすべく

孤独に戦っておりました。

 

なぜ、私だけが?と思ったことも。

 

何度も同じパターンを繰り返していました。

私は幼いころからイジメに遭遇しても

社会人になって理不尽なパワハラに近いことをされても・・

泣き寝入りばかりしていました。

 

自分が我慢すれば良い!

私は一人っ子という生い立ちのせいなのか?争いごとが苦手です。

学生時代も同級生に嫌なことをされても言い返す・やり返すことも出来ずにモヤモヤしていただけ。

 

それは社会人になっても変わらず・・

会社で身に覚えのないことで叱られたり(つまり、ただの濡れ衣を着せられただけ)

私が言い返さないことをいいことに、先輩から理不尽なことを言われたり・されたりしていました。

 

そこで自分に身に覚えのないこと・おかしいと思うことをハッキリと口に出せずに

〇穏便に済ませたい

〇「飛ぶ鳥跡を濁さず」

 

などと思い、我慢に我慢を重ねて最終的には転職という選択を今まで繰り返していました。

 

イイ歳して繰り返すのは嫌だ!

私は今年の冬に転職をしましたが、

実は教育係からパワハラに近いことをされていました。

ここでは詳しい内容は避けますが、

私に対して行動制限・些細なことをしつこく追求してくる・同僚との接触を邪魔されるなど

今までに経験のない散々な経験をしてました。

 

最初は【仕事を覚えるまでの我慢】と自分に言い聞かせて

教育係の指導を素直に受けていました。

 

でも、そんなことが数カ月も続くと

私は食欲が無くなり・夜中に何度も目が覚めてしまうようになりました。

 

昔の私なら

そこまでいくと「自分が仕事に付いていけません・・」みたいな

自分を悪者にして、波風立てずにヒッソリと辞めていくパターンでしたが

 

今回は、あまりにも目に余るパワハラっぽい内容と

教育係が先輩たちに嫌われているような様子も感じていたので

 

会社に告げる前から

パワハラ内容を最近の分だけでもメモに残し・証拠品を集めて

公的機関にも事前に相談をして

そこでアドバイスされたことも含めて、準備万端。

 

これを武器に

会社へパワハラだと感じたことを理由に退職の意向を伝えました。

もちろんメモ内容も全て説明しました。

 

すると、会社からは

「気づかず大変申し訳なかった。そこまでの内容とは思ってもみなかった。

きちんと把握出来ていなく・監督が行き届かず申し訳ない」

と謝罪されて

「どうしても、辞められてしまうのですか?良かったら・・」と

私に対して他部署への移動を提案してきました。

 

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勇気を出して良かった

今まで、どれだけ理不尽なことがあっても我慢ばかりしてきた私ですが

今回、どうせ辞めるならば事実を伝えようと初めて思えました。

 

もちろん家族の応援もあったのですが

 

★自分を変えていかないといけない!

★自分が正直ならば悪い結果にはならないだろう

★私と同じ思いをする人が二度と出ないように!

 

この3つの強い思いが原動力になりました。

 

公的機関の相談員も

「会社というよりは、教育係のレベルの低さが問題」と仰っていました。

 

私自身も今の会社に採用されたことは嬉しかったですし、感謝もしています。

会社に対しては不満はありません。

(この部分はちゃんと会社にも伝えました。)

 

ただ、教育係があまりにも酷いということだけです。

 

会社自身の対応も今回は敏速でしたから、そこに不満もありません。

 

私としては辞める覚悟をしていたので、他部署への提案は驚きました。

まだ、この先のことは迷い中です。

 

でも、今の会社との出会いで

今まで我慢してばかりで無理をしてきたけれど

時にはキチンと自己主張することも必要なんだと痛感しました。

 

あっ、だからといって

子宮系・引き寄せ系・心屋系のような

「ありのまま・好きなことだけすればいい」の人たちと一緒にしないでくださいね

( ´艸`)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成の終わりは、淋しさよりも安堵を感じています。

 

みなさんの平成時代はどうでしたか?

 私が平成を迎えたのは中学3年の高校受験前でした。

 

15から29歳までの14年間は楽しく平和(高校時代~就職、結婚、出産)だったけど

 二世帯同居が始まった29から34歳までの5年間は

母との確執に悩み、思い詰めて最後は再び別居に踏み切りました。

 

そして

35から44歳までの10年間

息子たちの思春期と反抗期、パートでの人間関係、ママ友問題、お金の大変さ、キラキラスピリチュアルに心奪われたこともあり

同居時代とは違うけど、行き辛さを感じていました。

 

 

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そして、ようやく去年からは少し気持ちの余裕が出てきました。

 

なぜかというと

母との二世帯同居生活か始まった確執に対しては

 

一昨年、母とケンカの後に

 

【もうすぐ70代を迎えようとするのに

いつまでも娘と確執を抱えて、このまま最期を迎えるのもどうかな?】

 

【もし、自分が息子と確執を抱えたまま最期を迎えたら?】

 

【ここは、私が一度バカになろう。

今までの全てを忘れることは出来ないけど、母を変えるのは無理だから

私の考え方を変えていき、大人になるしかない】

 

と、思ったのです。

 

そこからです。

人生が少しずつ好転を始めたのは。

  

まず、私自身が我慢強くなれました。

昔は白!黒!と何事もハッキリさせないと気が済まなかったのが

【グレーでも仕方ない】と待つことを覚えました。

 

この、【待つ】ということは

子育てとパート、人間関係に関して大いに役立っています。

思い立ったら結論を急いで空回りしていた人生だったけれど

待つことで、事の成り行きを見守りながら、その結果で行動をするようになりました。

 

お金の面でも

支払いが大変だな!と思ってると、以外なところから臨時収入があったり。笑

 

今でも、もちろん嫌な出来事にも遭遇しますが・・

とにかく逃げずに、やり過ごすことに専念していると

必ず「ピンチがチャンス」になってくれます。

 

平成という時代は

自分には人生初の辛いことが多かった分、人生の勉強が出来ました。

 

甘い甘い考えで、のんびり生きてきた私という人間を

天が目の荒いヤスリで、ゴシゴシ磨いてくれた気がします。

(痛かったけど。笑)

 

新しい時代、令和では来年春に長男が就職します。

ひとつの子育てが終わります。

 

「お金が大変だ~」から少し解放されそうです。(笑)

 

令和では、親の介護もあるでしょうけど

私自身が将来後悔のない最期を迎えることへの準備期間になると思います。

 

目の前の課題を一生懸命に。自分の楽しみ事も大切に。

上手く子離れ出来るように。

 

  令和での私の目標です。